「お母ちゃんに連絡せないかん」


俳優の里見浩太郎さんに俳優の里見浩太郎さんにそっくりな夫が、 末期の肝臓ガンで三年前に旅だった。私には父の決めてた許婚がいたのに、大人になるにつれて側にいても胸がどきどきしなくなった。申し分のない人だが断った。勝手にお見合いをして高松一ぐらい貧しい複雑なハンコ屋とも知らずに一目惚れした。
舅の亀吉が実家の父と正反対なワヤな人で、姑の貴子はまだ中学生の夫と義弟を置いて家出をしていた。女手に困った亀吉は愛人を家に入れた。亀吉の母親のツルは愛人が孫のお弁当も作らないから、せっせと作って辛抱したらしい。十五年後、何も知らない私が、 バラ色の夢を持って嫁いだがツルばっちゃんが老衰で寝込むとさっさと愛人が出て行った。
新婚の私が紙おむつもテッシュペーパーも水洗トイレも何もない時代に寒い北の間で寝るばっちゃんの介護をする。亀吉は二階に一1度も見舞いに来なかった。
入院させるお金も無い。岡山から亀吉の妹が娘を連れて見舞いに来た。手伝う気持ちは全然なくてエプロンも持ってきていない。もう、おかゆしか食べられないのに、岡山の大手饅頭やむらすずめでもなく、こっちで巻き寿司を二本だけ。昼時分だったからおうどんを作って運んだが「こんな臭い所で欲しくない」と怒る。
娘が洋裁を習っていてお礼にブラウスを縫って送ってくれるとサイズを計ったがピンクのそれはとうとう今も届いていない。
昭和三十九年の東京オリンピックの年に、 ばっちゃんの生まれ変わりのように娘が誕生。
四十六年には息子。亀吉が大激怒して怒ったが帰らせて上げた貴子はちっとも感謝せず、 あろうことか厚かましく、息子を生む分娩室まで入ってきた。
どうせ、十年ぐらいの辛抱と思ったのに二人とも百歳まで生きた。
老人施設もわがまま言って十何カ所も追い出された。残ったのは延命治療の借金だけ。
夫は病院嫌いで五十四年間、一度も行ったことがなかった。商店街で倒れて救急車で、 八十五歳の亀吉の肺ガンを助けてくれた病院に運ばれた。
私は脳梗塞の後遺症で左半身が 不自由で、娘があわてて救急車に乗った。
駆けつけた息子に院長さんが「末期の肝臓 ガンです。余命は三カ月」と宣告される。
六月だから九月までだ。もう、治療の方法もないから入院しなくて自宅療養する。本人は知らないから、せっせとハンコを彫った。だんだん、痩せて覆水でお腹がお相撲さん。 子供二人は最後の親孝行にインターネットでいっぱい薬を取り寄せる。
食欲のない父に蒸し器を買って野菜や柔らかい肉などを蒸す。
お風呂がないから私は店を閉めてから毎晩、 何本ものタオルで夫のじんましんの身体を拭く。
とうとう、大出血して入院した。集中治療室に 運ばれる途中、もう意識がないのに何か言った。
横を走りながら、娘は父親の小声に耳を傾ける。 最後に「お母ちゃんに連絡せないかん」と。


(香川県・K.H/女性)