介護
母と言う性
洗濯物をたたみ始めると、「あんだにそんな事させられんね」と母が慌てて奪い取りました。ぐしゃぐしゃと丸めては伸ばし、暫く悩んで、また同じことを繰り返すのです。畳み方さえ忘れてしまったのです。さりげなく「お母さんありがとう」とぐしゃぐしゃのままタンスに仕舞うと、母は安心したように笑顔を見せました。
介護は何事もその繰り返しでした。反面母は息を引き取るまで〝母〟であり続けました。私への労りを忘れませんでした。
働きながら男手1つでの介護は、精神的に肉体的にどん底に落ちていきました。私の疲れを見抜きました。
「お父さん、のぶが可哀想だから早く迎えに来て」と仏壇の父に祈り始めたのです。
その日が来ました。「お父さん待って、どこさいぐの。連れて行って!」と叫んで玄関に駆け出しました。「ああ・・・・」母はへなへなと座り込みました。眼球は左右に離れ、糞尿が溢れ出しました。動脈瘤が破裂したのです。「ありがどな。」母の最後の言葉でした。
それから10年。令和2年3月、私は再婚しました。その縁は母が取り持ったのです。あの世に行ってもまだ、我が子を心配しているのです。
「ありがとう。」
(宮城県・N.I/男性)