母とのバスタイム


「お母さん今日はシャンプーの日ね」
玄関を開けて声をかけてくると、母がにっこりうなずく。
90歳になる母の介護のため、私は毎日、時間によって、実家を訪れている。
去年までは、母と二人で父を介護してきた。
その父が昨年の春に他界したとたんに、母はぼんやりすることが多くなった。淋しさも大きいだろう。すっかり元気をなくしてしまっていた。
視力が急激に弱わり、耳もかなり遠くなっている。最近は歩行さえ困難に見える。
一人でお風呂に入って、転倒でもしたら……と、心配がつのった。
「お母さん、一緒にバスタイムしましょうか」
お風呂に入ることを提案して私から提案してみると、母は「わぁ、嬉しい」と、すぐに答えた。本人も危険を感じていたに違いない。
毎日お湯に入るのは自身も疲れているそうで、浴槽に浸かるのは、週に3回。洗髪は、そのうち2回。と相談して決めた。
初めての入浴の際は、安全に進めることができるだろうかとさすがに緊張した。
「手が滑ってお母さんがおぼれそうになったらどうしよう」
と、不安を口にすると「お母さん泳ぐの得意だから大丈夫」と応じる。
心が和んだ。お風呂タイムを楽しもうと考えた。
毎回、入浴剤を選んで、温泉気分を味わうことにした。名湯やお花シリーズ等、沢山種類がある中で、母が気に入っているのは「森林の香り」だ。さわやかな森の空気が、湯船から立ち上る。緑の木々のイメージ。私もみずみずしい感覚に引き寄せられる。
「気持ちいいねぇ」母は、あどけなく喜んだ。
他愛ない話をしながら、母の背中を柔らかいタオルで静かに撫でる。白い、小さい背中。いつか洗ってあげたいと願っていた。
私は9歳で叔父の家に養子として出されていたので、実母であるこの母と、一緒にお風呂に入った記憶がない。叔父夫婦には子供がなく、その頃、祖母に介護が必要な兆しが出はじめ、「おばあちゃんのお世話」をするのが私の役目となったのだ。叔父も叔母も商売が忙しかった。
子供なりに、新しい環境に慣れようとしたが、戸惑いと寂しさは拭いきれるものではない。両親にとっても実子を手放すのは、受け入れがたいことだっただろう。
でも当時の背景には父が職を変えたばかりで経済に苦しかったり、目上の意見に従う仕来たりなど、事情があったのかも知れない。
これまで、母親の思いを聞く機会は見つけられないままでいた。
祖母を看取り、養父養母をそれぞれ介護して見送り、昨年実父のお弔いを出した。
父の介護には母と共にあたったで、私を養子に出す折りのいきさつを聞く間合いもあったのだが、尋ねる気にはなれなかった。
父は次々病気を併発していたため、母は必死で看病してきた。母を手伝いながらふと気がつくと、いろいろなこだわりは、私の中から消えていたのだ。
だから背中を流している時、母から「ごめんね」と言われ、はっとした。
「苦労させて申し訳なかったね」と詫びの言葉。消え入りそうな声だった。「もう何でもないよ。気になどしてないよ」と私は明るく答えた。
一番苦労したのは母だったのではないだろうか。周囲に気を使い自分の感情などは封じ込め、悩みながらここまできたのだろう。
それにしても人生の巡り合わせは粋なものだ。今日、こうやって「母娘の入浴タイム」に導かれている。子供の頃、存分にできなかったお喋りを飽きることなく交わしている。
自分の母親がどんな気質か、考える時機もなかったが、日々の姿を見ていると、しっかり自立した女性の意思が伝わってくる。
娘である私にも家庭があり、仕事を持っている現状を深く理解してくれて「一日中ずっとお母さんと一緒にいる必要は無い」と言い切る。「歳をとっても1人の時間は大切などんな」とも。
「お母さんが一人で入る事は、自分にとっても、あなたにとっても意味があることなのだ」と語る。母の心を正しく汲み取れには私にはまだ時間がかかることだろう
大切な人が年老いていく姿を見るのは辛く悲しい。けれど、今、こうやって一緒に過ごしていられることを有難いと思う。母の命を共に生きるような気がする。
今日のバスタイムも、入浴剤は森林の香りだ。清々しい香りに、ひととき、母娘して、心を委ねてみよう。


(宮城県・K.M/50代・女性)