道徳は「損」か「徳」か


道徳を行うのは、詰まるところの「徳」なのでしょうか。それとも「損」なのでしょうか。

通常、道徳的行動には自己犠牲がともなうことが多いものです。例えばボランティア活動は、いろいろな意味で自分を犠牲にしながら行うものと見ることができます。災害が起こった地域に出向くにしても、これに費やされる労力、時間、資金等はすべて自分で捻出しなければいけません。ボランティアの援助を受けて助かる人はいるかもしれませんが、行った側には何にも支払われません。

もちろんボランティアは素晴らしく立派な行為ですから、誰もがこれを尊ぶでしょう。その反面、犠牲を払うことは損であるようにも思えて、進んで取り組める人ばかりではないのも事実です。

しかし、本当の意味で損をしているわけではありません。他社のために犠牲を払う人は、最終的に大きな結果を得ることができます。これを行えば行うほど、自分の過去の過失や罪悪があがなわれ、仏教でいうところの「解脱」に近づいていけるからです。

贖罪や解脱には形がないため、一見消極的な動機や目的のように思う人もいるでしょう。しかし、結果として人格の修養につながるのです。損どころか、たいへんな徳をしているといわなければなりません。


出典:「三方よし」の人間学-廣池千九郎の教え105選